サイト、galleryに新作アップしましたよー。リンクも2件更新!…って、やっぱりinfoはブログにしようかなあ…。
▼ドラえもん:ジョニー・デップと“夢の共演” 「海賊スペシャル」に船長役で
ハリウッドスターのジョニー・デップさん(44)が、29日放送の国民的人気アニメ「ドラえもん」のスペシャル版(テレビ朝日系)に“出演”することが明らかになった。主演映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウのような海賊役で一瞬登場するといい、ドラえもんとの「夢の共演」が実現。ドラえもんの歴史でも海外のスターが出演するは初めて。
続きはこちらで
http://netallica.yahoo.co.jp/news/2416( ゚д゚)ポカーン
そういう時代なのか…。
声優陣が一新して、絵柄も変わり、新生ドラえもんとしてデビューしたとき「それが現代の子供たちが大人になっても愛し続けられるドラえもんであるならば、それはそれでいいよなあ」と納得したはずなのだけど、この拭いきれないやるせなさは何だろう…。
書くか書くまいか迷っていたが、やはり書くことにします。
思うに、絵を描いていると、経験が少ないながらも感じることがあります。
とある作品が商品や広告として世の中に出て行くときに、いろんな人の手を介して行くことによって、その結果自分の作ったものとは別ものになってしまうのです。
それは良くなることも悪くなることもあります。
それらは悪意の結果ではなく、それぞれの関わった人の思いや試行錯誤が加味された結果であり、それぞれの「よかれ」が集合した形です。
しかし悪い言い方をすれば、それは作品の持つ「純粋な要素」つまり、関わるものが1対1であることによってしか生まれない質にブレを生じさせる作業だとも言えます。多くの人を通過するほど、作品はどんどん明確な芯を失っていきます。
少なくとも、私から出発した時点と、最終形では別のものになっているという「事実」です。
(※オリジナルがオリジナルのまま通過する分には問題ないです、例えばゴッホの絵画であるとか。それと、これは、あくまで「誰かが表現した作品」を主体とする話です。デザインとか、企画の話ではありません。)
F先生が亡くなった後、私はこのことを良く感じるようになりました。
世界中で愛されたドラえもんの「芯」であるF先生が亡くなって、携わる方々は相当大変だったと思いますけど。
先日話題になっていたドラえもんのパロディマンガが取沙汰にされたときは大変悲しかったです。
確かに
▼
小学館「ネットで評判になり、部数がケタ違いに増えた。厳しく対応せざるをえない」(知的財産管理課)
▲※他サイトより引用
まあ、確かに仕方ないと思います。
しかしこのマンガがなぜそこまで売れたのかを考えると、
そこに「F先生の生み出してきてくれたドラえもんとできるだけ同じであろうとする意志」を感じ、私を含め、今のドラえもんに違和感を感じる人々の共感を得たからと言えるのじゃないでしょうかね。
F先生が生んできてくれた「ドラえもん」に強い尊敬と追悼の思いをもって作ったからこそそれらはあのように表現されたのだし、結果としてまっすぐに共感を呼び起こしました。そのオチが今回のような「悪質な著作権侵害」という問題に繋がったのであれば、それは本当に皮肉としか言いようがありません。
少なくとも、昨今のドラえもんの位置づけに違和感を抱く人々は、少なからずやるせない思いをしているのでは。
と感じています。
著作権法の非親告罪化のことも書こうと思ったけど、機会があれば。
Technorati Tags: 藤子・F・不二雄, puppy, アート, イラスト, ドラえもん
posted by sioux at 18:37| 東京

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